今日は趣味性とこだわりの本質について書いてみたいと思います。オーディオ、音楽、あるいはこういった微妙で繊細なことを扱う”趣味の世界”では、マニア同士の紳士的な暗黙の了解、前提として、或いは、他者を傷つけないためのマナーとして、絶対に触れて欲しくない話題があります。このエントリでは残念ながら敢えてその事について書きますが、この度、箱庭的”AUDIO STYLE”管理人が併設のオーディオ掲示板を閉めた原因となった論点を要約すると、ケーブルで音質に違いは無いと信じられている方が、それを延々主張されて収拾が付かなくなってしまったことが原因です。※当エントリは初出2005年のリライト記事です。
まぁ多くの方がこういった議論に興味があるのは理解出来ますし、また論争が白熱したら野次馬的に面白そうなのも認めます。というよりも、これは各所のSNSや掲示板等々でしばしば見かけるありふれた論争の一つで、これが続くと、平行線を辿り水掛け論になるか、感情的な後味の悪さを残す結果になるのは、それら論争をいくつも経験してきたオーディオマニアの皆さんならばある程度ご存じですよね。
違いの判る人と判らない人がいます
官能評価での有意差のある無しは、なにもケーブルに限ったことではなく、インシュレーター、その他アクセサリ関係、それどころか、プレーヤーの音質差やアンプの音質差に至るまでオーディオ機器全てに共通する問題です。現実上の同じ変化でも、当然ながらそれを明確に知覚して聞き分けることが出来る人とそうではない人がいて、これらの食い違いの元凶は、本質的に、製品ではなく聴き手側の聴覚的認識力、感受性の個人差によるものであると管理人は考えています。
また、聞き分けが出来ると思っているオーディオマニアな方々の間でも、個々人がどの程度まで音質や音色の違いを明瞭に感じているのかについては、実際にはかなり個人差による開きがあるように感じます。そしてその感覚的な違いに有意着な価値、更に敢えて金銭的な価値を見出すことが出来るかどうか、それらは趣味性の領域として、判断はあくまで個人の価値観に委ねられていると考えます。
そもそも僕自身、微妙な音質差に神経を尖らせるのがオーディオの趣味性であると思っていますし、その一聴すると微妙な違いの積み重ねが、音楽再生に於いて非常に大きな影響力を伴う印象の違いとなり、だからこそ追求する価値があるのだと認識してます。そして、管理人自身はそれなりに、それらの違いを普通に聴き分けられるつもりでいるからこそ、こういったオーディオ機器に特化したWeblogのライターになり、数々のインプレッションなりレビュー記事を書いている訳です。
オーディオは音の聞き分けが出来る前提の趣味
この世界には、オーディオ機器及びそれらに関連したケーブルなりアクセサリを開発、或いは音作りをしている様々なメーカーの人達がいて、それらを吟味、比較検討して記事にしている世界中の評論家諸氏やWebライターの皆さんがいます。またそれらで紹介されるオーディオ関連製品について、品質と価格に納得して購入しているユーザーの方々が大勢いらっしゃいます。その多くは、音の違いを認識する能力に個人差はあっても、それぞれに有意差を感じ、音質傾向の違いを聞き分けているからこそ、オーディオと云うディープな趣味を愉しむ事が出来、作り手、売り手、使い手、評価、ユーザーの不満、喜び等々が循環することで、趣味としてのマーケットが成立出来ているのだと思います。
これらに関して、特に実体験を別にした電気工学的な机上の知識から不満や異議を唱えられる方がいらっしゃるのは良く解ります。けれども、管理人に限らず「当たり前に音質の違いを認識できる人々」にとっては、有意差があるか無いか?等というのは、今更に過ぎて限りなくナンセンスに近いものです。プラセボ効果で説明できる期待値の範疇を超えて官能的な違いを知覚させられる・・・感覚的に良くなったと感じるケースばかりで無く、思い通りの音にならず期待外れだったり、むしろ悪くなることも多々あり、良くも悪くも想定外の音質がで出てくる結果に困惑し、右往左往させられる事がままあるのですから。
管理人の周りにいるオーディオ好きの周りの趣味人は、ごく普通にケーブルやインシュレーターの音の差を聴き分けていますし、それでお互いのシステムとの相性や音色の好き嫌いについて議論する事もあります。人それぞれに微妙な感じ方の違いや言語表現の違いはあっても、個々の製品の傾向についてそれなりに共有できる共通認識が、色々なオーディオ機器やアクセサリーを比較する間に自然に生まれます。製品それぞれの「好き嫌い」や質的な「良し悪し」について議論はしても、元々有意差がない、実は全てがプラシーボであるなどとは誰も思いませんし、普通のオーディオ製品で、そこまで神経を尖らせなけれ聴き分けられないほどの微妙な違いを論っているつもりもありません。
誤解を恐れずに云えば、かしこまってオーディオ機器に対峙しつつ聞き耳をたてた状態に限らずとも、リラックスしておしゃべりをしたり、互いのリスニングポイントが動いても、ごろ寝でも、ご飯を食べていても、それなりに違うものはちゃんと違って聞こえるのがこの趣味を愉しむ普通のオーディオマニアの姿です。
オーディオアクセサリによる音質的影響
勿論、中にはじっくりと聞き耳を立てないと差が良く判らないくらい繊細で微妙なアクセサリもありますし、試してみた結果として実際に効果があるのか無いのか良くわからないケースも存在します。ただ、信号ケーブル、スピーカーケーブル、電源ケーブル等々、オーディオケーブル交換による有意差については、同じメーカー等の余程似通った傾向の音を持つモデル同士で無い限り、それなりに感度の高い機材を使っている以上、明らかな音色の違いを聴き取ることが出来るのがこのジャンルに於ける普通の感覚です。
しかしながら、試聴環境やオーディオシステム側の問題として、アクセサリのチューニングに伴う差が出しにくく、有意差を聴き取りにくい条件もあります。加えてオーナーのセッティングの妙から、ケーブルを換えても出音が殆ど変わらないハイエンドシステムというのも過去に経験したことがあります。また、色々な条件、個々人それぞれの体調や気候条件などが変化することにより、同じケーブルやアクセサリでも、テストする時間が違えば同じシステム上でも印象が変わってしまうこともあり、それ故に本当の意味での絶対的な評価は人間には出来ません。これらの話は、オーディオ機器やアクセサリの違いを知覚できる者同士であれば皆ごく当たり前の共通認識です。人間は驚くほど繊細な認識力を持つ反面、生物として常に揺らいでいて一定した感覚と状態を保ち続けるのは不可能だからです。
他のジャンルで例えると・・・
例えば、僕は高価なワインを殆ど飲んだことがありません。だから、色々なワインを出されても、どれが美味しい?とか、銘柄を当てたりなどはそもそもの前提経験が全く無いので出来ません。ですから、仮に1本が数十万円もするワインをご相伴にあずかる機会があったとしても、恐縮してありがたく頂くでしょうが、その価値が真に判るとはとても言えません。その味が価格に見合っているか、本当に美味しいのか?実はハズレなのか? また、3000円のテーブルワインと比べて有意差があるのか?それについてはワインに詳しい人にお任せします。しかし、ワインが趣味だったり、ソムリエをされるような方々の多くは、門外漢の人とは違うかなりの精度で銘柄の違いを認識できるでしょうし、味についても細かく分析し、客観的な位置づけ、好みかそうでないか、お値段に対して相対的にどのレベルか?などの判断が詳しく出来るのではと思います。
そういったこだわりの中で、ワインの価値を決めるのはマーケットの色々なニーズの結果であり、素人目にはトンデモ価格であったとしても、それを安易に詐欺等と断罪するのは筋違いでしょう。数ある中には実体に見合わないプレミア価格の付く銘柄もあれば、味の割にとても安価な隠れた銘酒もあり、そういったものを各々のこだわりから見いだす目利きの力を研鑽するのもそれまた趣味なのだと考えます。
カメラのレンズの持ち味などもそうでしょう。友人に、写真を見ただけで撮影に使われたカメラ(レンズ)、デジカメの機種、フィルムを見分けてしまう人がいます。写真には色々な条件があるので100%正しいとは限らないとしても、当然、カメラに疎い私にはびっくり仰天の神業です。でも、感性の鋭いカメラマンやカメラマニアにとってはごく当たり前のことかも知れません。こんな私でもBlogの撮影機材として富士フイルムのデジタル一眼やCarl Zeissのレンズを積んだ銀塩コンパクトカメラを持っています。だとしても、デジカメと銀塩の違いを普段意識していませんので、それすらまともに見分ける眼力がありません。
ケーブルやインシュレーターの音色の差が判らないのは、例えばオーディオに慣れていない方々の場合はごく当たり前でしょう。また、特段感受性の鋭い人の場合は、オーディオに特に興味が無くても目の前で比較されればあっさりと有意差を感じ取れる人もいるでしょうし、オーディオマニアを自称されている人々の中にも、いつまで経ってもそういった音の違いをまともに認識できていない方も、実は少なからずいらっしゃるのも実体験として認めざるを得ません。
音質に対するこだわりレベルの違い
逆に、私が気付かなかった様な細かい音まで軽々と聞き分けて、音楽の精神性表現にまで突っ込み、細部を非常に重視する方にも何人かお会いした事があります。(当然彼らの組んだオーディオシステムは、管理人が組んだシステムよりずっと良い音を出していました。)少しばかり妬ましくも思いますが、自分のオーディオマニアとしてのスキルが彼らのレベルに達していないことは潔く認めます。またその逆に、私ほどには聴き分けが出来ていなさそうな方々もオーディオマニアの皆さんの中にはいるように感じますし、最初は有意差の区別が付かなかった人が、興味を持って経験を積んでいうちに、音質や音色を見事に聞き分けるセンスを身に付けられたケースを目の当たりにした事もあります。
趣味というのは抑もこういった繊細な違いを吟味ながら愉しむものです。そして、オーディオ機器の音質や音色に対する「こだわりのレベル」には大きな個人差がありますし、経験値によっても違ってきます。明確に聴き分けられないことは悪いことではありませんし、それは普通です。オーディオの音質に対してどのレベルで納得、満足できるのかも人それぞれに違ってきますし、そもそも、℃マイナーな趣味の世界で音質の聴き分けが出来たところで、社会的評価が上がるわけでも、何か偉くなれるわけでもありません。
これは、信じる信じないなどと言う馬鹿げた話ではなく、現実認識力の問題です。ある人にとって違いが判らない=違いが判ると称する他者は皆プラシーボと云う感覚は、短絡的で思い上がりが過ぎると思うのです。そして、代価に対する価値認識も個々人で皆さん違って当然のはずです。もちろん、ピュアオーディオの世界には詐欺まがいの商品や、実力に対して価格が見合わないぼったくり製品も残念ながら数多く存在しますが、一般的な金銭感覚から値付けが不適切に感じる製品が多くある事と、音質の違いの有る無し、有意差を感じるかどうか?の2つは、全く別のベクトルにあるべき議題でしょう。
この問題の本質は「違いが判る人々」への妬みです
勿論、有意差を聴き分けていることなど到底信じられない、ブログ主は記事でデタラメを書いて嘘をついている、あるいはプラシーボ効果に騙されている可哀相な人だと思われるのもそれはそれで自由です。こちらはそう思われても一向に構いませんし、馬鹿にされても構いません。これは価値観の違いですのでそれ以上深入りした論争は望みませんし、或いはきっと僕などは想像もつかないような「違わないことが判る」高次元な聴覚をお持ちの様なので、勘違いの錯聴に舞い上がっている人々がとても滑稽に見えてしまうのかも知れません。
とは云え、「違いを当たり前に聴き分けられる」側の目には、それについて「違いが無いものをあると錯覚している」と捉える人々はどの様に映るでしょうか? 正直に云えば、自らが音の細部を聴き分けられない事を認められず、違いが判る他者を異常視する事で、プライドが傷くのを防ぐことが真の目的に見えます。ブライドが傷つく事を恐れ、感受性に劣る事実を受け入れられないために、違いが判るとする他者を否定し攻撃することでブライドを守ろうとするさもしい妬み。それこそがこの問題の本質でしょう。
これを解決する唯一の方法は、違いが判らない人が、自分には判らない事実と、判る人々がいるという事実、個人差の存在を認めて受け入れることです。違いが判る側の人々は、ウザ絡みされない限り、違いが判らない人々の存在には興味が無いので、その時点で議論は終わりです。音質についてつまらないプライドを持ち得ない無い殆どの人々には簡単な話ですが、なぜか「自らが聴き分け出来ない」事実を認められない極々一部の人々が、事ある毎に発狂する。それがこの議題が度々蒸し返され、エンドレスループにする根本原因になっているのです。
ブラインドテスト何それおいしいの?
このように書くとまるで条件反射のように「ブラインドテストをしろ!」と発狂される事までがセットなのですが(苦笑)、はっきり言って日常的に違いを感じて試行錯誤をしているオーディオマニアからすれば、わざわざ一体誰のために敢えてブラインドテストをする必要性があるのか全く以て意味不明な話です。実際の所オーディオメーカーでは製品開発時でも人材採用の際にも、業務として普通にブラインドテストには慣れていると思いますけれども、その手間と結果を敢えて他者に求めるのは、大抵はオーディオ趣味にも音楽にもほぼ無関係な、ただ鼻を明かして溜飲を下げたいだけの下卑た嫉妬心からの話ですよね…(゜∀゜)?
確かにブラインドテストをしたら、違いが判っているつもりで、実のところそれほど聞き分けが出来ないオーディオマニアを一定数あぶり出すことは出来るでしょう。けれどもこの趣味に於いて大切なのは音楽や音質を自分自身がどう感じるかで、有意差を感知できない他者がどう思うかなんて本質的にどうでも良い事ですから、愉しめている側は敢えて証明する義務も必要性も一切無い。まぁどうしてもやりだけば、御自身でどうぞ、そして御自分の中だけで完結して納得してくださいと云う、身も蓋も無い話なのです。
~まとめ~
つまるところ真実は、個人差で微妙な音質の違いについて聴き分けが出来る人と殆ど出来ない人がいて、その程度も人によってかなり差があると云うだけの話です。
このような、敢えて普段こちら側が口にしない価値観の違いについては、わざわざ皆まで言わせないで欲しい、ネットの辺境にある個人所有の掲示板のマナーとして、最初にルールを記したとおり、論破を前提にしつこい論争にはしないで欲しい。これが管理人としての御願いです。勿論、箱庭的”AUDIO STYLE”に於いて管理人の書いたことが全て正しいとは限りませんし、勘違いだったり、誤りである事も少なからずあるとは思いますm(__)m。感覚的な表現をする以上、不適切だったり的はずれになってしまうケースもあり得ますし、実際、過去のレビューを読み返してなんだこりゃ!?と思うことは自分自身でもありますから…( 3△3 ).。o。
また、電気工学的理論に基づく硬派で技術的な切り口よりも、感覚表現を重視したレビューBlogである以上、受け手によってはまるで理解できない言葉をポエムとして書き連ねていると思われるのは致し方ないと思っています。かといって、こちらはわざわざ意図して悪意を持ってデタラメな官能評価を書いているつもりはありません。このBlogは、情報提供主としての管理人が、そしてオーディオマニアの皆様が、それなりに有意差を聴き分けられることがコンテンツの前提になっていて、あくまでその前提で管理人なりの主観的レビューを書き綴ったものです。言論の自由に基づいて、この前提に関してのクレーム・・・「目障りだから書くな」云々は、申し訳ありませんが受け付けられません♪
何故ならこれを認めてしまったら、ブログの意義、ピュアオーディオの趣味の在り方、紹介しているオーディオ関連製品の存在意義、それらを作っている人々、販売している人々、購入して愉しんでいるユーザーの皆さん、またライターとして業界に携わる人々全ての生き様なり感性までを、根底からまるっと否定されることになってしまうからです。平和的な趣味の世界に於けるたかだか屁理屈に基づく見解の相違を、誰であろうと他者へ押しつける権利はありません。ですから、当サイトの掲示板やコメント覧等をご利用される際には、どうか平和的利用を厳守してください。情報交換を目的とした紳士的なコミュニティのマナーとして、どなたかの不利益になるような不穏当な表現、クレームまがいの表現、遺恨を残しかねない論争を誘発するようなテーマの提起などは、ご来訪者様全ての参加ルールとして、謹んで避けていただけると幸いです。(おわり)
July 9, 2005
オーディオ掲示板を一時閉鎖します。
読者の皆様には大変申し訳ありませんが、色々とフォローしきれなくなってきましたので一端掲示板を閉じます。再開は未定ですが、精神的に復活したら再開するかも知れません。TAG McLaren/Aura/Creekの件やスペース&タイムOmniなどの件で書き込みをいただいた皆様、7/6~9日のレスをもしもご覧になっていらっしゃらない場合は、御手数ですが御連絡をいただければ、続きはメールにてフォローさせていただきます。
突然のことで、書き込みをしていただいていたカキコ常連の皆様並びにROMの皆様には多大なるご迷惑をお掛けする事になってしまい、今回の件につきまして、管理人として深くお詫び申し上げますm(__)m 過去ログにつきましては、”掲示板/箱庭的輸入ピュアオーディオシステムの薦め”これでGoogle検索するとある程度出てくるみたいです。また何かと書き込みなどございましたら、お気軽に、今後はブログのコメントフォームの方で宜しく御願いいたしますd(^_-)
4月に設置した掲示板が望まない方向に進んでしまい、わずか3ヶ月の運営でしたが休止する事になりました。ただ、再開を希望するメールを多くいただいておりますので、規約を厳しくする方向にはなりますが、後日、再開の方向で準備をしております。(後日注:結局再開はしませんでした。)
コメント一覧 (3件)
音楽とオーディオを楽しめるブログを展開してくださり、いつもうれしく思っています。どうぞよい音楽とともに、気持ちよいブログ運営が再開されますように。それにしても pastel_piano さんのシステム、よい音が鳴っていそうですね。記事を読みながらいつもそう思っています。
お気遣いありがとうございますm(__)m
二つともいろいろやりくりの末に組み上げたシステムで、
投資した金額の割にはそこそこ良い音で鳴っていると思います。
とはいえ、更に良い音のシステムをお持ちの方は沢山いらっしゃいますし、
家のシステムもまだまだ理想のイメージ通りに鳴っている訳ではなく、
完成には程遠いです。でもまぁ、その過程が楽しいんですけれどd(^_-)
リライトされた記事にコメントするのはジョン・タイターになった気分ですね。
電源ケーブル等で音が変わらない派と変わる前提派とでは話しが噛み合わないので、管理人さんも随分苦労されたのでしょう。
私など元の電流自体アナログ録音全盛の頃のと最近のデジタル化された機材を使用している物とでは前提となるS/Nとか違っていて、数十年後の感覚でデジタル・リマスターすることには懐疑的だったりします。家庭の電源にも昔は無かったノイズが一杯乗っているのではと。それが聴こえるとは言いませんが(滝汗
アーティストとプロデューサーがO. K.を出して世に問うたものを弄ってどうするという……。話が脱線してすみません。
ここからは私的ポエムです。
ウチの奥さんが草花が好きで、その水遣りを頻繁におおせつかるのです。
私など子供の時から夏休み中とか家の庭で散水係をしてきたんですが、何でといやいややっている不届者でした。
植物への思いやりが欠落しているというか、枯れそうという感じが分からない鈍感な性質なもので、その声が聞こえてこないんです。そういう感覚とかは人それぞれ違っているのでと自己弁護。
その代わり動物達には優しくてその声が聞こえてきます。
「完璧な人間なんていないさ」ということで。