このニュースを読んだとき、私は全身の血の気がひいていくのを感じました……
東京お茶の水のカザルスホール。それは私の青春の中心にあったコンサートホール。500席少々の小さな室内楽専用ホール。1987年に建築家の磯崎新氏の手により誕生し、世界平和を歌えたチェリスト、パブロ・カザルスの名を冠し、ミェチスラフ・ホルショフスキーによるピアノリサイタルが開かれる。比較的新しいホールだったけれども、東京近郊で、私の知る限り一番音の良い、一番格調高い、本物の響きのする室内楽ホール。内装も楽屋も外装も含めて、まるで100年の歴史があるかような雰囲気ある作り。この後東京にはいくつも似たような室内楽用ホールが出来たけれど、どれもカザルスホールと比べると、音の響きが普通だったり、内装の木材がどうにも安っぽかったり、何かが物足りなかった。
80年代末から90年代、カザルスホールで多くの世界的演奏家がリサイタルを開いている。ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、室内アンサンブル…等々、カザルスホール特有の滞空時間が極めて長く冷たく澄んだホールトーン…これはこのホールだけの唯一無二の個性であり、また小音量の室内楽を楽しむために最適化された特異点のような空間。個人的な話で恐縮だが、ステージで演奏する彼女に初めて大きな薔薇の花束を手渡したのも、アンコール演奏を終え、興奮して楽屋に戻ってくる姿を受け止め、抱きしめたのもこのホール。演奏会の間、お辞儀の際に彼女がこちらばかり見ていたものだから、遂に隣の客席にいたご婦人にお知り合いですか?と声を掛けられたりもした。他にも思い出は色々ある。オーフラ・ハーノイの花のように舞うストラディバリのチェロ、ミラ・ゲオルギエヴァの奏でるフランチェスコ・ルジェーリの響き等々、今でも私が愛して止まない、海外の、その当時若手の演奏家の幾人かは、このホールでの演奏が最初の出会いだった。
オーフラ・ハーノイのカザルスホールでのリサイタル映像LD(サイン入り)。Nと花束を持って行ったりしたなぁ。。。天使と魔女を足して二で割ったような凄い美人@ぐらまぁなおねぇさんで背筋が震えたのを覚えてます。
あのころ来日演奏家による小ホールでのリサイタルがあると、音は良いけれどチケット代が少しだけ高いカザルスホールを選んだものだ。何故ってピアニッシモが際立つ響きの良いカザルスホールでの演奏は、他のありきたりなコンサートホールよりも、不思議なほど良い演奏を聴けることが多かったからだ。そう、私にとっての夢の中のような思い出、青春時代が詰まったコンサートホールがカザルスホールだった。
2002年、親会社である主婦の友社の経営難からカザルスホールを手放さざるを得なくなり、カザルスホールを含むお茶の水スクエアの土地所有権が日本大学に移管された。そして名称も日本大学カザルスホールとなった。世界的名チェリストであるカザルスという名の前に大学名を冠するという冒涜とも取れる行為に一瞬目眩がしたけれど、少なくとも文化財としてカザルスホールの価値を解ってくれる大学が保護してくれるなら、そういう事もありなのだろう、そんな風にも考えていた。ただ事はそう単純でもなかったのだろう。日本大学カザルスホールでは、程なくして通常の音楽マネジメントを経由する、来日演奏家による興業公演が殆ど行われなくなった。そう、何故か行われなくなった。いつしかホールが使われない日も多くなり、公演がある場合も、国内の演奏家や、小イベント、アマチュア、セミプロの発表会活動の場として、地方公民館の如く使われることばかりが目ついた。そして聴衆はめぼしい花形公演を失ったカザルスホールからいつしか離れていった。かくいう私も、気が付けば日本大学の名を冠したカザルスホールへは一度も足を踏み入れていない。
そして去る2009年2月4日、日本大学から正式にカザルスホール閉館のリリースが出た。
日本大学カザルスホールの使用停止について
本学は、このたび懸案事項でありましたお茶の水キャンパス再開発計画の策定に着手するに当たり、同キャンパスに所在する日本大学カザルスホールの貸し出しを含む使用を、平成22年3月31日をもちまして停止することといたしました。
平成14年に本学が同ホールを教学上の施策として取得以来,学外の皆様にもコンサート専用ホールとしてご利用いただいてまいりました。同ホールへのご愛顧に対し、衷心より感謝申し上げます。
また、同ホールの使用停止に伴い、平成22年4月以降のご利用をご検討いただいておりました皆様には、ご迷惑をおかけすることとなりますが、ご理解賜りますようお願い申し上げます。
カザルスホールが門外漢である日大の手に渡った次点で、いつかこんな事になるんじゃないかと懸念された方は多いと思う。事実能動的なイベント企画が出来なくなった日大カザルスホールは、7年間に渡り実質的に宝の持ち腐れ状態だった。クラシックも知らない、楽器演奏の経験もない成金が、金があるからとストラディバリウスやガルネリ・デル・ジェスのヴァイオリンを買い集めて私物化し、死蔵させているのと一体何が違うのだろう?いや、アマチュアにたまに触られているから良いだろうとでも彼らは考えていたのだろうか?
クラシック音楽ファンの立場からすると、カザルスホールはその存在自体が楽器であり文化だ。私個人としての思い入れだけでなく、傑作ホールの唯一無二の音質や、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの遺した西洋建築など、むしろ国や地方自治体が保護すべき重要文化財だとさえ思う。コンサートホールの設計は同じ事をした所で決して同じ音にはならない。その存在自体が奇跡であり唯一無二のものであり、近代的に建て替えれば済むとか、そんな即物的で安っぽい話ではない。その固有の響き、公演の記録、積み重ねた歴史、そして後にホールと一体に設計されたユルゲン・アーレント制作のパイプオルガンも含めて、建物全てが楽器の一部であり音楽文化なのだ。どこかの地方都市にある、音響とも呼べないような適当な作りの華も何もない多目的ホールを奇麗に建て替えますって話とは訳が違う。第一今後数百年立て替えの必用が無い程カザルスホールは美しい。「カザルスホールは公演も少ないし文化芸術なんて本当のところ興味もないし理解したくもないしお金が掛かって邪魔だから壊します。」そこには音楽と芸術文化、それに関わる人々への理解や尊敬の念が微塵も感じられない気がするのは私だけだろうか?
カザルスという名前を戴いた責任をどう考えているのだろう? そもそもカザルスホールがここ数年敬遠されてきた理由は何だったのだろうか?この話を海外の文化人、このホールの音を知っている数多くの演奏家達が知ったらどう思うだろう?日本人の、音楽に対する認識がその程度のものであり、どれだけ文化芸術に大して浅薄且つ無理解かを、世界中の知識層へ恥と共に垂れ流す格好の機会となる事さえ思い至らないのだろうか?呆れるというよりもはやある種の脱力感と嘆かわしさだけが残る。
お茶の水は文化の町だった筈だ。カザルスホールのような存在を大切に保存し、正しく運営し、良い演奏者を招き入れ、日々のコンサートの歴史を十年また十年と積み重ねていく、それこそが歴史という掛け替えのない文化であり、文化を担いつつ日本を代表する教育機関に与えられた本来の使命だったのではないのだろうか?近代建築の新校舎がもたらす目先の虚栄心と繁栄は、数十年後、カザルスホールのもたらす伝統文化の威厳に太刀打ちできるのだろうか?
とにかくどうにかしてホールを存続させ救済する方法はないのだろうか。石原東京都知事はこの横暴についてどう考えているのだろうか?いつの日か、ふたたび上質な演奏会を数多くカザルスホールで享受できる日を夢見ていたものとして、今回の出来事は本当に身を切られる思いだ。
※2009年2月8日 友人の弦楽器奏者N氏による寄稿。了承の上、管理人による加筆修正及びリンクと画像追加しました。
コメント一覧 (7件)
突き刺さるテーマです。友人のN氏、パステルピアノさんのカザルスホールへの愛情が伝わってきました。
名前は知っていたという程度の知識です。音がよくても、サントリーホールなど収容人数の多い大きなホールで有名音楽家のコンサートを興行する・収入を多く得るために・傾向なのでしょうか・・。実に残念ですね。ここ北海道にも長くクラシック専用のホールがなかったのですが、10年前位にやっとキタラというサントリーホールと同じ設計者による市営の大ホールができました。ワインセラー形式?サントリーホールと同じ舞台を取り囲む形ですね。残響時間2秒とかで響きはいいですが、併設するシューボックス型の小ホールのほうが私は好きです。楽器と同じで好みですね。知人によると、千歳市にある公立のホールが北海道では一番とのことですが・・。名演奏家の名を冠したホールで二度と再現できない建築物・音楽ホールとなると公共物として行政が動いてもいいですね。おそらく、そこで演奏した演奏家の記憶にも残ってるはず。ヨーロッパでは、考えられない出来事でしょうし。日大と都の善処を私も願ってます。
ご無沙汰しております。以前、CastleやAtollの話題でお邪魔した者です。修羅場だった仕事が一段落したので久しぶりにお邪魔したのですが、カザルスホールの件は非常に残念であり、日大附属高出身者として非常に恥ずかしいです。ホールを潰して、明治大学の「リバティタワー」みたいな無機質なビルを建てるつもりなのでしょうか?
後半で石原都知事に触れていますが、彼のおかげで東京都交響楽団も大変みたいですね。以前、出身校の都立大が廃止されることになり、友人に誘われて日比谷公会堂の抗議集会に参加したことがあります。その時、都響のメンバーが壇上で窮状を訴えていました。パンフレットも貰いましたが、ゲルギエフとか蒼々たる演奏家が石原批判に名を連ねていたのに吃驚しました。途中から抗議運動が愛校心とは関係のないサヨク運動みたく感じられたので距離を置くようになりましたが、政治家ではなく、大学が文化を破壊してしまうのは罪が重いですね。
衣食足りて礼節を知る
日本人の悪い面が出てますね><
大多数の人々が低所得層 日々の糧を得る
のがやっとじゃ 何の力も発揮できない
超富裕層が寄付金出してって習慣も 日本には
定着してないしなぁ
カンポやしごと館に 税金垂れ流しする現状
お寒いかぎりです。
>モグさんこんばんわ。
私は風邪ひいたのか頭クラクラしてます。ワインヤード形式ですね。カザルスとは違いますが、サントリーホールもとても音の良いホールです。大きいので聴く場所によって違いはありますけれども、フルオーケストラが入る大ホールでもあり、ピアノソロや小編成の弦楽器でも、名演奏を何度も経験しました。意外と通常の客席の反対側(ステージ裏)が安くて近くてお気に入り。 ちなみに大ホールの需要と小ホールの需要は色々異なりますので、サントリーホールその他に罪はないと思います。
カザルスホールの問題は、87年以降、東京都心にカザルスホールを手本にした、或いは、コンセプトを同じくしたシューボックス型の小ホールが沢山出来てしまったことでしょうか。思いつくだけでも、紀尾井ホール、津田ホール、トッパンホール、浜離宮朝日ホール、王子ホール、場所に難がありますが府中の森芸術劇場など、どれも一定水準以上の音響レベルにある優れたホールですし、もう一回り200~300百席程の小ホールでも優れたホールがいくつもあります。特に公演に積極的な紀尾井ホールには主役の座を完全に奪われてしまった印象です。N君も私もカザルスホールの残響がたっぷりとした音響の方を好みますけれども。。。それでも、ホール自体の質はカザルスホールに一日の長があるといいますか、ここは他とは違うヨーロッパの教会のような響きが得られるんです。だから、教会で演奏されることを前提に書かれたバロック音楽、無伴奏曲、声楽曲、弦楽アンサンブル、その他諸々のクラシック音楽がツボにはまるととんでもない名演を聴くことが出来たりする、演奏者の霊感を呼び覚ます力があるホールでした。ピアノ弾きからするとリバーブが長すぎてペダルの使い方を1から組み立て直さなくてはいけない部分があり、人によっては弾きにくいホールだったみたいですけれども。。。
>matamaoさん
こちらこそお久しぶりです♪nu-maoさんですね。問題はこのような決定に至った大学上層部の方であって、卒業生や現役学生の方々に非があるとは思ってません。ただ、今回の話には、明治大学への対抗意識があるのかな?と外野からはそんな風に感じてしまう部分があるのも事実です。身内や知人に日大出身のクラシック音楽好きも幾人かいますし、むしろ学生さんの方からカザルスホールの存続を求める運動が起きてくれれば一番嬉しいのですけれども。。。
石原都知事については、なんというか、まぁああいう方ですので。何年か前、NHKのラジオで東京にオーケストラは3つもいらない!とか独演されてました。東京都交響楽団、東京交響楽団、東京フィルハーモニーと、東京の名が付くオケが3つもあってわけわからねぇ統合しろ!とかなんとかで。まぁオケは3つじゃないですけれども、N響や新日や読売はカウントしないみたいで。オケが多すぎる云々の話はデリケートな話題ですのであまり触れたくないところですが、石原さんにかかれば、大体東京にはコンサートホールが多すぎる!とか何とか言われそうでいや…。どちらも数の問題ではないのに。
>ゲルギエフとか蒼々たる演奏家
ソ連崩壊後の大混乱の中、ボロボロのキーロフ歌劇場を率いて建て直した張本人ですからね~。
>政治家ではなく、大学が文化を破壊してしまうのは罪が重いですね。
政治家でも罪が重いです!。 カザルスホール/お茶の水スクエアを更地にして新校舎といった計画が水面下であるみたいですが、表向き詳細は未定になってます。ここは学生さんも教職員もOBも含めて、大学の内側から教育の原点に立ち帰り、金と見栄に毒された文化弾圧の圧政をひっくり返して欲しいです♪
>グレアムペンギンさん
>日本人の悪い面が出てますね
…諸行無常です。。。
わたしもびっくりです。
東京からは離れてしまいましたが、御茶ノ水のカザルスホールは、やはり室内楽などのひとつの殿堂であったかと思います。
2002年の段階で既に経営権が移っていたとはわたしもうかつでした。
確かにその段階でこの結末は見えていたことなのかもしれませんね。
確かに90年代は東京で過ごしましたが、80年代のバブル絶頂期から90年代の半ばまでやはりよき時代だったと思います。赤坂のサントリーホールや、このカザルスホール、あのバブルがなければ決して陽の目をみることのないプロジェクトだったのでしょう。あの時代を振り返るに、確かに国内外の著名な演奏家やオーケストラが日本にきてくれた(特に東京)わけですが、当時でも、やはりチケット代、むちゃ高かったですよ。
2000年以降の個室オーディオ化や趣味の多様化など、クラシックに月に何万円もお金をかけれる人が相対的に少なくなった(少子化もあるし、中高年のおばさんたちも結構生活がきつめ)とすると、やはりいいホールだからといって世界最高の音楽家を呼ぶわけにいかない→ファンの足がさらに遠のく→収入が減れば公演の機会の減や、やはり経営的に成立たない(高い値段でホールを使ってくれない)ことは、ある意味、みえていたことではあるのですが…。
でも、本当に残念です。
せめて最後の手向けのスペシャルなシリーズをこの1年間、組んでくれないものでしょうかねえ。
引き続きフォローとチェックをお願いします。(自分も気をつけてみますが)
ではでは^^?
>しばやさんさん♪
>当時でも、やはりチケット代、むちゃ高かったですよ。
バブル時代でもクラシック音楽のコンサートチケットは高いと感じたものですけれど、同じクラスのソリストで比べた場合、近年はバブル当時の1.5~2倍にチケット価格が跳ね上がっています。演奏家は年を取ればチケット価格が上がる傾向があるとはいえ、流石にやり過ぎみたいな。。。資本主義的には需要と供給で値段が決まりますからお金があるところにはあるって事なのかもですが…。そんでもって、では海外の音楽家が以前より多く来日しているのかと思えばそうでもない。CDが手に入りますので何となく気付かないのですが、ツボを押さえた良い公演がずいぶん減った(偏ってる)なぁという印象です。
>せめて最後の手向けのスペシャルなシリーズをこの1年間、組んでくれないものでしょうかねえ。
演奏活動のスケジュールは2~3年後を視野に入れて組むもので、そう急にどうこう出来るものではありませんから。。。既に本年度のカザルスホールでのスケジュールはそれなりに埋まってますし、来年3月以降の予定は日大側が一方的にキャンセルしてきましたから。。。一番良いのは日大側が計画を変更し、何らかの形でそっくりそのままカザルスホールが残されることだと願いつつ、聴き納めに最後の?1年間、何公演かに足を運ぼうかなと思ってます。