【CD・LP】やっぱり音盤・・・光学ディスクメディアとレコード盤が好き♪【SACD】

【光学ディスクメディアの寿命と耐久性について】
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サブスクリプションやダウンロード音源 vs CD/SACD等のパッケージメディアを比較したとき、ジャケットとライナーノーツの有無について(これについては古くはレコード時代から)引き合いに出されることが多いのですけれども、確かにこれ、個人的にもかなり重要な問題だと思っています。

classicalcds

今のところ、特に国内の音楽ダウンロード販売では、ライナーノーツに替わる電子小冊子などが何故か殆ど付属してきません。ですので、せいぜい画質の悪い小さなサムネイルと、販売ページの曲情報を自分でコピーしてローカルに保存するくらいしか手段がありません。

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アルバムは、ジャケットの意匠も含めてトータルで作品になっている

クラヲタからすると、音楽は聴くだけでは無くて演奏者や作曲家の背景を知識として学ぶ部分の比重もかなり大きく、日本語、そして外国語の解説書、ライナーノートを何とかして読むことの蓄積がそれを担っている訳です。更に、音楽CDやLPは、ジャケットがなんだかんだと皆さんの楽曲購入の大きな決め手になっていますよね。。。「アルバムは、ジャケットの意匠も含めてトータルで作品になっている」これについては昔から、クラシック音楽よりもジャズやロックポップスの方がより明確に意図されていて、アーティストの想いが意匠に反映されていることも少なくありません。ジャケット写真やライナーノートの解説が無くても音楽は聴けますけれど、無形の音楽データのみでは余りにも色気が無いと感じてしまうのは、管理人だけでは無いと思うのです。。。

CDやレコードなどの音盤であれば、そこそこ珍しい廃盤アルバムでも、国内外を根気よく探せばオークションや中古レコード店経由で手に入ります。けれども、音楽データの配信やダウンロード販売になってしまうと中古での売買は事実上不可能。有形メディアが無くなってしまった世界線では、著作権、版権等の問題から、レア音源や過去の資産へのアクセスが極めて困難になり得ます。古書の薫りと手触りに惹かれるビブリオマニアの本探しと同様に、形があるからこそ長く味わえる音楽文化的な愉しみが、データ音源からは殆ど得られなくなってしまうかも知れません。。。

有形資産としてCD、SACD、LP所有することの文化的意義

そもそも管理人がネットの辺境の片隅で細々と提案してきた「箱庭的オーディオスタイル」の概念は、ただ単に住空間のサイズに見合ったコンパクトなオーディオシステムのみを呼称している訳ではありません。そこには、レコードやCD等フィジカルメディアの蒐集と、家具として調和するオーディオ再生機器を含む「音楽に囲まれた書斎、リビング、プライベート空間」を包括した、音楽趣味人としてのライフスタイル全体についてまるっとイメージしているつもりです。

DALI DENON ARCAM

音楽そのもの以外によって補強されるコンテンツの文化的要素が一切削ぎ落とされた、無形音楽のサブスクリプション・・・クラウドストリーミングがコンテンツの主流になってしまうと、音楽文化としての趣味性が大きく失われると共に、音楽マーケット自体もどうなるんだろう・・・?いずれは音楽を聴く権利と称して、配信元に多額の課金(税金)を払い続けられる人々しか、事実上新しい音楽を聴けなくなるのではないか?それと共に、金銭的価値を生みにくい不人気&古い音源データは、集金価値の無いジャンクと見做され、誰からも顧みられないゴミ同様として扱われるデータの海に埋もれ、アクセス不可能になってしまいやしないか?・・・等々、個人的にこの先に訪れるであろう未来については正直かなり危惧しています。

音楽が無形化することで音楽自体に純粋な価値が生まれると云う見方も出来ますが、逆に無形化することで、一曲毎、アルバム毎の相対的価値が人々の中で希薄になり、付加価値を失った古い音源の殆どは無味乾燥に色褪せて短小化された情報でしか無くなり、コレクションとしての存在価値が市場全体から徐々に希薄化して行くように感じるのです。結果、表面的な文字データとしての入口しか持たない等価的な音楽が量的に溢れすぎて、個々の音楽の存在価値にメリハリが付きにくくなり、マイナーな殆どの音源がジャンクライブラリと化する。実はもう既になっていますけれど、真に良い演奏や高音質録音が、サブスクリプション経由の安価な定額配信や無料音源の波にマスキングされてしまい、逆に見つかり辛くなりつつある。一曲の持つ価値、アルバムの価値が、刹那的に薄っぺらく安っぽくなるとでも云いましょうか。。。

大衆は、たとえ其処に質の良い音源があったとしても、意識的に敢えて誰かがスポットライトを当てない限り、何処かの誰かに明示的に薦めて貰わない限り、それが音楽として本質的に価値があるかどうかにかかわらず、大抵は興味を示さないのが現実です。道端に転がるダイヤの原石を見つけたとき、それに気付き、人々の興味を惹くほどにスポットライトを当てるセンスのある人々は、プロアマ問わず、どんな分野であれ極々一握りしかいないものですから。。。

著:津田 大介
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ネット時代になり、テキストや動画などで誰でも「情報」を世界に向けて発信出来るようにはなりました。けれども、誰もが簡単に出来る事によって、情報の「質と価値」が、オーバーフローする情報「量」の波に押しつぶされてしまい、本来は価値がある情報そのものの付加価値が、日々希薄化しているように感じるのです。そしてそれは音楽の世界の無形化、情報データベース化の流れにも同じ事が云えます。

そうした状況の中、敢えて旧来のフィジカルメディアを振り返ってみると、音盤として形のあるアルバムは、アーティストとリスナーの間を結ぶ介在者、紹介者が、光を当てつつデコレーションしたスポットライトの部分を、タイムマシンの如く時を超えて有形化してくれた付加価値ではと感じるのです。

僕は「音楽に余計な言葉は要らない」的な話は、極一部にしか当てはまらない世迷い言だと思っています。音楽が人が人に気持ちを伝える為の手段である以上、純粋抽出された「音楽の中身」の価値のみをもって、付随情報一切をそぎ落としても構わないとするのは、視野が一面的過ぎやしないかと。。。弾き手にとって「音楽」はもちろん表現の骨子ですし、敢えて意識的に付随情報を廃する表現についてはあっても良いと思います。ですが、意図的な例外を除いてしまえば、殆どの音楽に於いて、ジャケット、ライナーノーツ諸々の解説書、更にアーティストの人となりや容姿、ステージの演出、そこに集まるさまざまな人々の人間模様等々も含めて、それら全てが音楽を通して心と精神を共有するために、必要な情報や表現の集合体ではないのだろうか?と。

音楽を聴く権利を他者に委ねた先にあるディストピア・・・

それとはまた別の切り口として、管理人のように音楽はお一人様月額いくらのビュッフェ形式で、みんなで仲良くシェアすれば良いんだよ?的な発想を生理的に受け入れられない利己的音楽マニアとしては、仮にある日突然ワールドネットワークの世界から自分が断絶されても、云ってみれば音楽だけは手元で自由に愉しめるものであって欲しい。抑も有償無償の共有ネットワーク音源なんぞ、音質にしても聞く権利にしても、そのうち版権や運営元に何をされるか分かったものでは無く、端から信用に値しないと思ってしまうのですけれど、それって余りにも世界を信用しなさ過ぎでしょうか・・・?

つまるところ、アニヲタルンペンの隠れキリシタンで、リア充世界の滅亡を日々目指してネット工作活動に励むわっちの如き毒舌はぐれメタルの場合、ある日突然「あんたは反世界政府思想の危険分子と認定されますた。サーバーにアクセス出来ません、氏ね♪♥」とかPCを開いた瞬間に画面一杯に表示される日が、いずれ来るんじゃまいかと割と本気で心配してたりする訳で・・・qU^”ェ^Up

その点、ハイレゾ音源のアルバム単位でのダウンロード販売については、音質で音楽を改めて高付加価値化できると云う意味で肯定的なのですけれど、問題は所詮ハイレゾも今だけ限定の付加価値であると云う点です。TIDALがWAV/CD-DA同等の高音質でストリーミング配信を始めた事を少し前に書きましたけれども、クラウドストリーミングでも目の前に迫るネットワークストレージの大容量化で音源圧縮が近い将来不要になり、非圧縮ハイレゾでのネット配信やダウンロードが当たり前になる時代が来てしまえば、ハイレゾという概念自体が陳腐化して付加価値とは呼べなくなる。そうなると、近未来にはハイレゾがビジネス上のアドバンテージにはならなくなってしまうのですが、ほんと大丈夫なのだろうか?と。

そんなこんな色々と考えていると、レコード業界に於ける付加価値の本質は、つまるところ形あるパッケージとして個々人が独占所有できるか否かでは無いだろうか?ここに集約されると思うんですよね。あれっ・・・やっぱりわっちがおかしいのかにゃ・・・?\(^o^;)/。

o-greenPCオーディオとネットワークオーディオの定義についてに続く。

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