M.J ピレシュのモーツァルト・ピアノソナタ全集 コロムビア旧録音とDG新録音

既に巨匠の域に足を踏み入れつつあるポルトガルのピアニスト マリア・ジョアン・ピレシュ(マリア・ジョアオ・ピリス)と呼ばれる事が多い)による、一度目のモーツァルト・ピアノソナタ全曲録音です。DENONのモーツァルト生誕250周年企画盤として再販されましたので取り上げてみました。ADFディスク大賞・エディソン賞受賞盤。ピリス30歳の録音で、なんと1974年に(東京・イイノホール)で収録されたデジタル録音。おそらく市販向けのPCMデジタル録音としては最初期の録音ではないでしょうか。

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現在はリサイタルや録音でヤマハCFⅢSを愛用しているピレシュですが、ライナーノートに拠るとこの当時使用されていたピアノはスタインウェイ。録音はかなり実験的(…当時のデジタルですから)なもので、オーディオ的に音質がどうとか、ヤマハスタインウェイの音色が等と云うレベルの音ではない点は予め断っておきます。

Maria Joao Pires Mozart piano Sonatas

僕の場合、子供の時分に初めて出会ったモーツァルトのピアノソナタ全集がピリスのこれでした。実に不幸な出会いだったといっておきましょう(汗)。今でこそモーツァルトは大好きなのですが、最初にこんなレコードを学習用に渡されたら、生徒は弾くの嫌いになっても仕方がないと思うのです…。 なんというか、聴いていて非常にフラトレーションがたまる。乾いてキンキンした音質も不愉快でしたが、極度の内向きな嫌世感とも受け取れる倦怠感の中で、一つ一つのタッチがなにやらおしなべて苦痛に満ちた音色がする。まるでバッハの受難曲を聴かされているような、十字架を背負うキリストの痛みをその内面からえぐり出すかの如き閉塞感で、こんなの全然モーツァルトらしくない…と、当時の僕は感じていたのですが、レビューをさらってみると驚くことにもの凄く評価が高い。でもそんな世間様の評価とは関係なく、子供のピュアな?感覚で聴いた際、生理的に全く馴染めないモーツァルトの解釈に想えたのでした。

さて、今僕が録音当時の彼女と同じ年齢になり、改めてこのディスクを棚から引っ張りでして聴き返してみると、100%否定的な印象しか残らなかった当時とはやはり色々と聞こえ方が違います。深層部分にある潜在的な苦痛やフラストレーションのようなものは今でも感じますが、それは子供の時分に感じたほど強烈ではなく(これは僕の感性が鈍ったからでしょう)、むしろそれが演奏家としての強力な個性であり味わいであるかのようにも聞こえます。リスナーとの間に真空の壁をもたらすかの如く非常に繊細でデリカシーに富むニュアンスとピアニッシモの細部にわたる充実した解釈は、むしろピリスというピアニストの非凡さを物語るというか、表面的な技巧と精神世界の中間にある情緒、感情表現に於ける抑揚とアーティキュレーションの魅力…深層ではなく目に見える浅層のレベルでの表現力が今の僕の心を掴んでしまう感じです。しかしそれは感情という部分に於ける表現力の話で、やはりより深層の精神的な…人間性からにじみ出る部分とでもいいましょうか、、、その部分まで掘り下げたとき、何処か何か引っかかる部分がある。

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結局この録音の数年後、ピレシュは具合が悪くなり暫く演奏活動を休止することになるのですが、このモーツァルト/ピアノソナタ全集は休止以前の録音として貴重な反面、グラモフォンでオーギュスタン・デュメイと共に活動している今日の演奏と比べると精神的にまるで別人のようです。演奏家として再起した後の演奏に於いても、生き疲れた如き苦しそうな演奏をする時がたまにありますが、この録音ほど変に内向的な隔絶感を感じさせるものではなく、特に調子の良いときの演奏は、まるでお日様を浴びた洗いざらしの白いシーツを想わせる素朴なタッチで、自信と慈愛に満ちた表現を聴かせます。もう、こんなに小さな女性からどうしてこれだけダイナミックな表現が生まれるのだろう?と本当に不思議というか、只々凄いというか。。。

特に、技術でも感情でもないより深層の部分、精神的な部分での訴求力が、当時と今とでは、彼女の中で何かが大きく変わっている事を強く感じさせられます。リスナーであり、自分自身でもある人間に対する想いが、世俗的な喧噪に対する忌避感が見え隠れするものから、対等に生を分かち合おうとする愛へと変化してきているように…これは、基軸にある彼女の宗教観(ポルトガル人なのでカトリックかな?)、神に対する想いみたいなものがあって、それが何かこう、宗教戒律的な枠組みの中に押し込められた孤高のピュアリティから、より生きとし生けるもの全てを包み込む寛容さを伴いつつ真理に近づいた、といったら大袈裟でしようか。少なくとも一人の演奏家として、そういう方向性へ何か彼女の内面的なベクトルが変化したことで、現在のピレシュの演奏からは、一つ一つの音を人の心に深く刻み込むような共感性と独特の詩的で深いタッチが生まれるのではないかと、新旧モーツァルトのソナタ録音を一枚一枚を聞き返しながら想ってみたりするのでした。

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こちらは90年の新録音です。何百回聞き返しても聞き飽きない素晴らしい演奏♪録音品位も大変クリアで美しく、ドイツグラモフォンの面目躍如といったところ。モーツァルト・ピアノソナタに於ける現代解釈のリファレンス盤としても手元に置くに相応しい内容です。

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コメント一覧 (12件)

  • 初めまして。こんにちは。
    よく交響曲とか協奏曲とか音楽でありますけど、どうゆうことなのですか???
    教えて下さ~い。

  • 若い頃のピレシュのモーツァルト、懐かしいですね。孤高のピュアリティ:当時の彼女は確かにその様な感じの張りつめた演奏で、レコ芸などで評価が高かったのですが、私もなかなかついて行くのが辛く感じたのを覚えています。少し世代が異なりますが、エッシェンバッハの若い頃の演奏も聴いていて辛くなる種類のものだったと思います。二人とも、近代的なピアノ奏法をベースに、タッチや響きなど純粋にピアノの「音」そのものを追い求めた、感覚的な演奏では無かったでしょうか?

  • 復帰後のピレシュは音楽に対するあり方が変化して、音楽の中で人との繋がりを求める様な部分を感じます。デュメイと組んだのもそう言った変化の反映かも?と思っています。デュメイとの競演では、デュメイ色が強く出ているのかも知れませんが、かつてほど音楽の掘り下げが無くなっている様にも感じます。デュメイ/ピレシュは1995年のフランクのVnソナタがありますが、例えば1997年の五島みどり/R.マクドナルドの演奏と比較すると、最終楽章の緊張感と集中力にかなり差があります。

  • その五島みどりさんも最近は演奏が随分変化して、かつての集中力一本の凄い演奏から、オーケストラとのハーモニーを重視する様なスタンスになっていると思います。ブログのトップに庄司さやかさんを取り上げられていますが、むしろ今では集中力や緊張感では庄司さんの方が充実しているかも知れません。この辺は年齢的/世代的なものでしょうか? 庄司さんは年末のNHKで放送されたブラームスの協奏曲をエアチェック(死語?)しましたが、堂々とした演奏だと思いました。メンデルスゾーンはまだ未聴ですが、どんな演奏になっているのでしょうか?

  • 昨日は「デュメイ/ピレシュと五島みどり/R.マクドナルドの演奏では最終楽章の緊張感と集中力に差がある」と書いたのですが、今日改めて別の再生装置(SONY ZS-M5)で聴き直してみましたら、大分印象が違います(汗)。前者の方がしなやかで表現力の巾が広いのに対し、後者はコンクールから出て来たかの様な緊張感を感じさせます。特にピアノの表現力の差は格段でした(当たり前?)。技巧派のデュメイを取るか、作品に真っ向から勝負のみどりさんを取るか、辺りが好みの分かれるところでしょうか?

  • こんにちは。
    私はやっぱりモーツアルトのソナタはEMIのリリー・クラウスのが好きですね。。これがあれば他はいいという感じです。別路線ではグールドも好きです。

  • レス下さった皆様お久しぶりです~。読むの遅くなりすみません(汗) GW休暇してました~。
    >ラララさん
    はじめまして。改めて訊かれると難しいかも。 ものすごーく大雑把に分けると、交響曲(シンフォニー)はオーケストラのための曲で、協奏曲(コンチェルト)はピアノやバイオリン等のソロ楽器+管弦楽の編成で書かれた曲です。

  • >ufugi0331さん
    サイト放置してGW休暇してました。ぼちぼち何かブログの記事を書かないと…(滝汗) えっと、エッシェンバッハについてですが、ツェルニーの練習曲集のCDしか持っていなかったりします。これは今聴くとかなりの速さでテクニカルに弾いているように聞こえますが、メトロノームに合わせて弾くのが当たり前的な、杓子定規で音楽的感性に乏しい当時の日本に於けるピアノ学習では、これでもかなり崩した解釈という認識だったと思います。ペダル入りで模倣して披露したら先生にボロクソ言われた気が…。
    庄司紗矢香さんのメンデルスゾーンは実は未だ未聴ですm(__)m新譜で高いんだもん…。デビューアルバムとかは持ってますが、確かに女性には珍しく堂々として意志の強い弾き方ですね。かなりこう、ピアノと喧嘩しているみたいな気の強さ。
    デュメイ/ピレシュのデュオについてですが、これは3年前にベートーベンのソナタ演奏で来日した際にも生で聴きましたが、私はこの2人を技巧派だとは思っていません。ていうか私は音楽的表現力を二の次にしたような技巧派の演奏家が基本的に嫌いです。勿論2人とも一流のテクニックを持ってはいますが、そのテクニックを全面に押し出した機械的な演奏とは対極にある、楽器を使いこなした上で極端なまでに音楽的に歌い上げる情感溢れる演奏に感じました。ご指摘のように大変にしなやかで表現力の幅が広いです。デュメイのヴァイオリンは音符が羽のように舞い、まるでハーメルンの笛吹のように、こちらの意識が抗せずぐるぐる振り回されるようなものすごい求心力があり、「春」など座席でじっとしているのが辛かったくらいです♪で、帰ってきてから同じ曲を自宅のオーディオシステムで再生したら…特にバイオリンのあまりの違いに少々悲しくなりました_| ̄|○
    >byd designさん
    Lili Kraus盤、そんなに良いですか~♪棚を探してみたのですがシューベルトしか見つかりませんでした。機会があれば全集手に入れたいと思います。ソニー盤の全集は何処にでもあるみいですけど、EMIのはなかなか見つかりません~。一応、HMVに廉価国内盤(抜粋)のサンプルがありました。
    http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1778220
    グールド盤は持ってます。SBMでマスタリングがおかしくなる前のCD初期盤です。これは、凄いですね♪ はっきりいってピレシュなんて目じゃないというか、音楽的完成度の次元が違います。DGに於けるピレシュ二度目の演奏も録音が非常に素晴らしく、表現力豊かで捨てがたいのですが、ある意味良識的な解釈の範疇で音楽的な抑揚と間とニュアンスを徹底して掘り下げたノーマルな印象。今風に高等な上手さとでも云えましょうか。グールドのはもうカッ飛んでいて、音楽そのものがよりモーツァルト本人に近い。当時のモーツァルト本人の演奏よりは大分早回しではあるのでしょうが、もうこれは凡人が何と言おうと本質的且つきち○い的にモーツァルトに近いです。但しあまりの凄さにこれを聴くと耳が感化されて暫く上手くピアノが弾けなくなっちゃうんですよね。ギクシャクおかしくなります。という事でピアノ学習者には禁忌の逸品でしょう…。

  • 「音楽情報サービス」のkanです。こちらへ来てみたらリンクを張って頂いていました。有り難うございました。私の方からもリンクはらせて頂きました。
    デザイン良いですね。落ち着いた色遣い、雰囲気の素晴らしいサイトですね。これからもよろしくお願い致します。

  • レス、ありがとうございました。デュメイ/ピレシュのデュオは改めて聴き直してみたいと思います。自分のオーディオが生演奏と同じ音で鳴っているかは難しい問題ですよね。自分の場合、FMの生放送では比較的生演奏に近い感じがしていると思いますが、CDは正直言って余り自信が持てません。CDとオーディオ装置の相性みたいなものがあるのでしょうか? スレ違いになってしまいますが、お勧め版に挙げられている五嶋龍君の演奏について、ブログで取り上げて頂けませんでしょうか? 来月から日本ツアー始まりますし、、、

  • こんにちは。最近更新ないですね、楽しみにまってますよ。クラウスのモーツアルト、M黒区の図書館にありました、なんと5枚組。

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